相模国総社について

相模国総社について

大化の改新以来、国司は任国に着くと、まず神拝と言われる国中の主たる神社を巡拝いたしました。その後、国司が中心となり公的な国家祭祀を執り行う神社の必要性や多くの日数・費用の掛かる巡拝に代わり、国中の主たる神社の御分霊を一社に合わせ祀る「総社」が設けられました。
総社は、その国の中心である国府近くに設けられ、国司着任の儀式など国衙祭祀が執り行なわれました。相模國府祭も当時の国衙祭祀・国司巡拝の様相を現代に色濃く残す祭典の一つであるといえます。

相模国の場合、柳田大神に、「一之宮寒川神社」、「二之宮川勾神社」、「三之宮比々多神社」、「四之宮前鳥神社」、「一国一社平塚八幡宮」の五社の御分霊を合わせ祀りました。これをもって「相模国総社」が成立いたしました。『吾妻鏡』建久3年(1192)8月9日条に「惣社柳田」とあり、総社として認知されていたことがわかります。

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